34年、変わってないこと2009年07月03日

1975年といえば僕が生まれた年(正確には76年3月)だが、34年が経過し、我々を取り巻く社会環境は大きく変化した。いや、34年というのは、ずいぶんと長い年月ですよ。

この年に出された「今後の保険事業の在り方」に関する保険審議会の答申を読んで、いかに生保業界が当時から同じ問題意識を持っていたものの、まったく変わることができずにいるかを知り、驚いた。

いまもほとんど実行されていないものを抜粋:


商品
・ 定期保険について、最低保険金額の引下げ等を含め、販売姿勢の積極化を強く期待する。

保険料
・ 保険料に関する生命保険会社間の公正な競争が促進されることが望ましい。
・ 生命保険会社は事業費枠を基礎として経営効率の向上に更に努力すべきである。

情報提供の改善
・ 会社は各保険商品の給付構成及びそれに応ずる保険料の構成を契約者に分かりやすく提示すべきである。
・ コスト比較情報について、カナダ生命保険協会の例等を参考としてその具体的な方法について早急に検討が行われることが必要である。
・ 保険約款の形式、内容両面における改善により平明化が図られることが必要である。
・ 情報提供の促進を目的として、業界協力による学識経験者を加えた第三者機関が早期に設立されることが望ましい。



昨日のエントリーで書いた1932年の募集実話集もそうですが、あぁ、この業界は本当に100年くらい変わっていないんだなぁ、ということを勉強すればするほど感じる。

難しいのは答えを指摘することではない。旧来型の生保ビジネスモデルの限界については、すでに40年前から指摘されているわけだ。チャレンジは、それをいかに実行していくか。そこには経営者の強い意志と実行力がないと、実現できないのだろう。

しかし、国民は時代にあった変革を求めている。そこに、大きな飛躍のチャンスがある。

そう、確信している。

今日発売の「週刊金融財政事情」に、寄稿記事が掲載されました。よかったら、読んでみてください。
https://store.kinzai.jp/magazine/AZ/index.html

生命保険業界における情報開示を加速化せよ2009年07月03日

本日発売の「週刊金融財政事情」(2009年7月6日号)に掲載されている文章です。金融業界のキーパーソンは読んでいる雑誌なので、結構、反響がありそうな予感。


生命保険市場を適切に機能させる
商品の情報開示を加速せよ

契約者のインフォームドパーチェスを
可能にする環境作りへの努力を

ライフネット生命保険 副社長
岩瀬 大輔


大反響呼んだ「付加保険料」開示

 二〇〇八年一一月、ライフネット生命は業界で初めて「保険の原価」を開示し、生命保険会社の情報開示のあり方に大きな波紋を投じた。提供する二商品について、保険料のうち保険金等の支払いに充てられる「純保険料」と事業費に充てられる「付加保険料」の内訳を公表したことで、それまで業界外にはブラックボックスとなっていた生命保険商品のコスト構造が明るみに出たのである。このニュースがテレビ並みの視聴率を誇る「ヤフー・ジャパン」のトップを飾ると、ライフネットのホームページにはアクセスが殺到し、閲覧数は一晩で二十四万PV(ページビュー)に上った。また、複数の新聞、雑誌、ネットメディアが開示されたデータを用いて各社商品の手数料体系を推定し、比較する記事を掲載した。
 一般に金融商品・サービスの手数料は、例えばATMの利用手数料や投資信託の信託報酬のように、金融機関を選択する際の重要な決定要素の一つと考えられており、利用者への事前開示は当然とみなされている。それではなぜ、生命保険の手数料開示が、これほど話題になったのだろうか。
 それは、生命保険が「人生で二番目に高い買い物」と言われる高額商品であるにもかかわらず、仕組みが複雑で分かりにくく、保障内容や保険料水準が適正であるかを検証するための知識も情報も手にできないまま、売り手のペースで契約が締結されていくことへの消費者の不満、不信が根底にあると考える。
 これに加えて、今回、明らかになった生保各社の手数料水準が一般の感覚と大幅に乖離していたことも、注目の大きさに寄与した。表1は、当社が開示した純保険料を基に、著名なFPが作成した比較表である。これによると代表的な年齢・保険金額の定期死亡保険について、各社で手数料水準には最大四倍もの開きがあり、高い会社は保険料の半分以上が付加保険料となる。このFPは掲載記事で「ほかの金融商品と比較して考えると、恐らく2~3割でも『高い!』と思ったのではないでしょうか」とのコメントをしているが、これが業界外から見た感覚を表しているのだろう。

保険料三〇兆円に非効率はないか

 保険募集・支払全般のあり方について議論をしてきた金融審議会「保険の基本問題に関するワーキンググループ」(保険WG)が二〇〇九年五月に取りまとめた「中間論点整理」では、今後検討が必要な論点として、①情報提供義務、②適合性原則、③募集文書、④広告規制、⑤募集主体(保険仲立人、乗合代理店)、⑥募集コスト開示、⑦募集人の資質向上、を掲げている。
 いずれも本質的に重要な課題であるが、これらを眺めていると、その底流にあるのは消費者が保険会社とフェアに渡り合えるだけの知識と情報を与えられていないため、自分に適した商品選択をおこなえていないという現状である。金融のプロである読者諸氏の間ですら、加入している生命保険の内容を十分に理解しないまま、高い保険料を払い続けているという方は決して少なくないのではないか。
 仕組みや内容を十分に理解しないまま加入していることの問題点は二つある。まず、いざ保険事故が起こったときに自分が期待する給付を受けられない恐れである。保険募集における理解不足という保険の「入口」の問題は、「不適切な不払いや支払い漏れ」という「出口」の問題に繋がる。
 もうひとつは、十分な理解と情報があったなら選ばなかっただろう保険商品に加入していることの社会経済的な損失である。生命保険業界が年間保険料収入三十兆円を超える規模であることを考えると、適正な商品選択を行えていない結果、過大な保険料を払い、業界の非効率が温存されていることは、消費者余剰の拡大と社会的厚生という観点からは、深刻な問題である。

世界一儲かる日本市場

 あまり知られていないが、日本の生命保険料は国際的に見ても極めて高い水準で高止まりしている。インターネット経由で入手可能な範囲で日米英の定期保険の保険料水準を比較してみたところ、三〇歳の男性が三千万円相当の保障を十年確保するための保険料は、最も有利な優良体について日本では三六〇万円、米国では七六万円と、最大五倍近い格差があった(表2)。
 また、世界中で活動するある保険会社の地域別収益率データによると、新契約の利益率は米英の一~二%に対して、わが国は約九%である(表3)。商品性の違いを考慮するとしても、日本が先進国でもっとも儲かる生保市場であることは疑いない。そして、この高い保険料の代償は誰が払っているのかというと、より健全な市場であれば競争による価格低下の利益を享受できたはずである、一人ひとりの保険契約者なのである。
 一九九六年に施行された改正保険業法は、規制緩和と競争促進を目的としていた。一二年が経過したが、政府が一連の規制緩和策の経済効果について分析した「規制改革の経済効果(2007年版)」によれば、損害保険業界では三千億円を超える利用者メリットの拡大が、事業費の効率化と保険料引き下げ等の形で実現されたと推定されている。これに対して、同レポートでは言及されていない生命保険業界について筆者が同様の分析を行ったところ、利用者メリットが拡大している様子は見られなかった。
 具体的には、規制緩和後の一〇年間で、生命保険の「価格」たる新契約一件当たりの平均保険料は、まったく下がっていない。また、保有契約一件当たりの事業費に至っては一〇年どころか、二〇年前から効率化されていないのである。
 ここ十数年の間、専属チャネルの縮小、外資系生保や損保系生保のシェア拡大、死亡保障から医療保障へのシフトなど、業界内部では慌ただしい変化が見られた。しかし、消費者の立場から見ると、事業費の効率化と保険料の低下といった規制緩和による経済的な恩恵は、未だ受けていないのである。

売り手と買い手の情報格差
 
 当局は〇六年に付加保険料を弾力化し、多くの新規免許を付与するなど、競争促進的な政策に舵を切った。しかし、多くの国民がその果実を享受するには、彼らが生命保険の仕組みを理解し、複数の商品から自分にもっとも適した商品を選べることが前提となる。
 生命保険は無形であり、給付が加入のずっと後に不確定的に生じるというその性質上、売り手と買い手との間に大きな情報格差が内在する商品である。売り手たる保険会社の自主的な情報開示に委ねたのでは、買い手たる消費者が対等な立場で向かい合うことは難しい。その非対称性を解消し、消費者が合理的な知識と情報をもった購入を行うためには、個別の保険商品に関する情報開示を義務づけることが不可欠である。
 生命保険業界の情報開示は、財務状況については、充実してきた。九八年にソルベンシーマージンの開示が義務付けられたのち、自主的ではあるが三利源の開示、企業価値を表すエンベデッド・バリュー(EV)の開示なども少しずつ一般化しつつある。
 これに対して、商品に関する情報開示はまだはじまったばかりである。金融庁は〇五年以降、「保険商品の販売勧誘のあり方に関する検討チーム」によって一年半にわたって検討された保険の販売勧誘に関する改善策の提言を受け、保険契約時の「契約概要」及び「注意喚起情報」の契約者への交付に加え、保険契約時に「意向確認書面」の交付、比較情報提供のための環境整備などを実施してきた。

情報開示強化への四つの提案

 これらの措置は契約者の理解を高めるためには望ましい一歩であるものの、まだ十分とは言えない。具体的な情報開示規制として、四つの提言を行いたい。
 まず、契約者の基本的な知識と理解を高めるため、米国の「バイヤーズ・ガイド」(購入の手引き)に相当する冊子(例えば、生命保険文化センター「ほけんのキホン」等)の事前交付を原則として義務付けるべきである。内容としては公的保険と民間の保険のすみわけや貯蓄と保険の使い分け方、保険料と保障範囲のトレードオフ、複数の保険会社から自分に合った商品の選び方のポイントなど、複数の商品比較を前提とした記述が望ましい。なお、一冊百円程度のコストは、新契約獲得単価が十万円を超えることが珍しくない現状に鑑みれば、大きな障害とはならないと考える。
 次に、保険会社が取り扱うすべての商品について約款をホームページ等で入手可能な状態にすべきである。保険会社と加入者との契約内容である約款こそが商品そのものなのであるから、従来の業界慣行のように、契約者しか約款の交付を受けられないということは、加入前の商品内容の十分な理解を前提とする立場からは論理矛盾がある。
 加えて、すべての商品について保険料表を(主契約と特約毎に)事前に閲覧可能な状態にすべきである。保険商品を選ぶに際してもっとも重要な要素が、払い込む保険料とその対価として受けられる給付のトレードオフである。したがって、保険料率に関する情報は、保障内容を定める約款の開示と対をなすものと考えられるべきである。約款と保険料表の全面開示は当局も発展を望んでいる健全な比較情報の流通を実現するためにも不可欠である。現在でも比較サイトは存在するが、これは代理店契約を結んだ保険会社からしか情報を得られないため、極めて限定的なものとなっている。
 最後に、これらの情報をより使いやすくするために、すでに契約時の交付が義務付けられている「契約概要」のなかに、一定の共通条件を設定した上で、主契約部分の「コスト指数」の記載を求めるべきである。詳細の比較は契約者の自主努力に任せるとして、各社の商品がおおむねどのような価格水準にあるかを簡単にとらえることを求めるべきである。米国では、四〇年以上前から起こったコスト開示の議論の結果、このような指数の記載が標準化しているが、我が国に「契約概要」などが輸入される過程で、どういうわけか消えてしまっていた。
 この点と関連して、各社が自主的に付加保険料の開示を行うことが、商品に関する理解を深め、加入の適切な意思決定を行うためには望ましいと考える。保険WGも「中間論点整理」において、募集コスト開示については「消費者が多様な保険商品の中から商品の選択を検討するに当たって、付加保険料の水準や代理店が保険会社から受け取る手数料の水準は有用な情報であるので、これらの情報の開示を検討すべきとの意見があった」と指摘したうえで、「今後、これらの意見について、消費者に対してどういった情報を提供していくことが有効か、また保険会社のディスクロージャーのあり方をどう考えるか等の観点から・・・検討していくことが必要と考えられる。」とまとめている。
 「保険商品は安さだけではない」という指摘は正しい。保険料を安くする代わりに通信販売のようなセルフサービスでもよいという消費者もいれば、保険料が高くてもよいからプライベートバンキングのように手厚いサービスを受けたいという顧客もいるだろう。重要なのは、そのサービスのためにいくら保険料が上乗せされているのか、情報を与えられた上で選ぶというインフォームド・パーチェスを可能にする環境を作ることではないだろうか。

情報格差の解消こそ

 保険会社の破たんを未然に防ぐことや、不適切な不払いが起こらないよう確保することは、契約者からしてみると当たり前のことに過ぎない。生命保険という商品の特殊性を考慮すると、真の契約者保護とは、保険会社と一般契約者との間に存在する圧倒的な情報格差を解消し、契約者が判断を行うに必要な知識と情報を手にした上で、自らにとって「ベスト・ディール」(最良の取引)を見つけることができる環境を整えることである。歴史的に、保険会社の利益の源泉はこのような情報格差、「消費者の無知」にあったと考えられるし以上、自主的な開示は期待できないと考えるべきである。
 先に見たように、年間三十兆円の市場が効率化することの国民経済的な意味は大きい。一割の価格低下が実現できれば、三兆円が消費者の手に返されることになる。しかし、そのためには市場を適切に機能させるための修正が不可欠である。今後は、生命保険会社の保険商品に関する情報開示が推進することを期待したい。

(本稿の見解はすべて筆者個人のものであり、筆者が属する組織のものではない)