宴のあと2009年07月08日

とある大手買収ファンドのオフィスにお邪魔して、そこで働く若手の皆さんとランチをご一緒した。ここは社内にシェフが常駐していることで有名。いや、大企業の食堂なら分かるのですが、数10人の小さな組織なのに、シェフがいるのですよ。

留学中、この会社のニューヨークオフィスに面接しにいったことがある。資料を大量に渡されてPCの前に座らされ、「4時間で資料を読み込み、エクセルで収支計算をして、投資メモを書け」という課題を課せられた。

ちょうどお昼どきだったので、「何か食べる?」と聞かれた。「何がありますか」と聞いたところ、「いや、何でもできるけど。シェフいるから」と言われてびっくりしたのを覚えてる。無難にクラブサンドイッチとかにした覚えがあるが、いま覚えば、「かつ丼」とか「ぶりの照り焼き」とか、無茶ぶりしてみればよかった。あまり感じ悪いと面接落とされるか。

さて、この会社の東京オフィスは、まだ投資をやっておらず、静かに投資機会をうかがっているのだが、久しぶりに投資ファンドの人たちと話をして、留学と金融危機を経て考えが変わったことを思い出した。

もちろん、わが国に投資ファンドのようなリスクマネーの供給は必要だし、優れた経営者が企業経営を建て直すことで価値が生まれることは間違いない。その意味で、PE (プライベートエクイティ)業界は、まだまで大きく成長する余地はある。

しかし、大事なのは、当たり前なのだが、「簡単にお金が儲かるうまい話はない」ということである。振り返ってみると、過去10年強、ファンド業界で生み出された価値の多くは、信用バブルによる高レバレッジや、株式市場自体の上昇によるものであり、ファンドの自助的な努力が価値に繋がるまでには、相応の労力と時間が必要と考えなのであり、すぐに結果が出るものではない。

そもそも会社というのは、そう簡単に変わるものではない。人員削減やコストカットは一時的にはできるかもしれないが、持続的な企業の競争力の源泉にはならない。そのためには、結局時間をじっくりかけて人材を育成し、動機付け、永続的に新しい商品・サービスを生み出すような組織を作っていかなければならない。

また、そこで価値が生まれたとしても、多分かつての年率30%とか40%という驚異的なリターンではなく、5~10%の安定的なレンジに過ぎないところに収斂してくはずである。

業界で働く人たちも、仮に買収案件で大きく成功したとしても、受け取るべき報酬水準は何千万円とか何億円とかではなく、普通の給与水準におまけがついた程度のものでいいのではないか。本当に対象企業の価値を高めるためには、現場でどれだけ汗を流していることが本質的に重要で、いくら深夜遅くまでPCの前で資料作りに専念していたとしても、企業の実体的なバリューアップには大きく貢献していないことに気がつかなければならない。

更に(米国についていえば)、政策的に、そこで生まれた富の配分を公平のするための能動的な努力が欠かせない。過去10年か20年で、米国のCEOの平均報酬は数10倍になり、一般労働者のそれは下がっているという。どんなに立派な仕事をしたとしても、一人の人間が数億、数十億の金銭を手に触れるほどの社会的な価値があるのだろうか。私は(バフェットのような一部のスーパースターを除いて)否だと思う。

今後は投資ファンドも、もう少し「ふつーのビジネス」となるのではないか。ふつーの会社員として一所懸命働いて、ふつーより少し魅力的な給与をもらってもいいけど、これまでのようなファンドバブルは、もう来ないんだろうな。