大人のための夏期講習2010年08月03日

渋谷の東急本店通りを松濤の方に向かって歩いていると、SPBS(渋谷パブリッシングブックセラーズ)というお洒落なブックショップさんがある。大型のデザイン本や洋書などが並べてあり、夜遅くも開いているのが特徴だ。

以前からいいお店だなと思っていたら、講演会に読んでくれた立教大の学生だった川口くんがそこでインターンをやるという。「それはなかなかいい選択ですね」とコメントしたのを覚えている。

今年の3月、拙著「生命保険のカラクリ」をネット上で無料公開したところ、久しぶりに川口くんから連絡が来た。SPBSの代表の方が、電子書籍関連で興味を持ったので会いたい、とのこと。

こうして、SPBSにご縁ができた。聞くと、代表の福井さんは元々プレジデントの編集者。お店は書籍を販売するだけでなく、自分たちでデザインや写真のワークショップを実施したり、さらに自社で出版も行うという。本屋・出版社・学校の三つを兼ねているのである。面白いベンチャーだな、と思った。

特に、独自で編集している雑誌「ROCKS」は超かっこいい。最新号は、オノ・ヨーコと、コム・デ・ギャルソンの川久保玲さん。過去には伊勢谷友介さんとか出ている。最近では、別の媒体の取材で海老蔵さんとともにロンドンに行かれていたそうだ。

http://www.shibuyabooks.net/special/rocks/

福井さんとは波長が合うので、「何かいっしょにやりませんか?」と相談をした。今の自分にできることは、何だろう?お昼を食べながら、色々とアイデア出しをした。

その結果、一つの企画が立ち上がりました。

「アントレプレナー塾~起業で社会を元気に!」

23日(月)、30日(月)と2週連続、松濤のブックストアでワークショップを行ない、最後はそのままシャンパンパーティ。2周目は、私が尊敬するベンチャーキャピタリストの方をゲストに招く予定です。



日時×テーマ:(時間はいずれも19:30~21:30)
 (1) 2010年8月23日(月)「いま、起業に必要なこと」
  ・ 事業計画書の書き方/資金獲得の方法を学びます。
 (2) 2010年8月30日(月)「『事業計画書』講評」
  ・課題として提出いただいた「事業計画書」を、岩瀬さん、ゲストの方
   が講評します。後半は、受講者と講師の懇親会です。



参加費がちょっと高いので、今回は本気で起業を考えている方に限定でしょうか。松濤でのアントレプレナー「夏期講習」、楽しみにしてます!

経営者に求められる資質2010年08月04日

楽天元常務の山田善久氏が、再び古巣に戻ったとのニュースをみて感じたこと。

http://corp.rakuten.co.jp/newsrelease/2010/0726.html

楽天やソフトバンク、ユニクロなどの企業は、外部から見ていると「ワンマン社長」のように見えるし、実際に強烈なリーダーシップを発揮されているのだろうが、

これらの企業の強さは山田氏のように非常に優れたビジネスパーソンが大勢いて社長を支えており、それぞれの才能を発揮しているところにあり、「また一緒に働きたい」と出戻りしたくなるようなマネジメントスタイル、企業風土こそが競争力の源泉だ、ということ。

ヤフーの幹部陣と話しをしても、誰しも孫さんと働ける喜びを語る。ファーストリテイリングのキーパーソンをフィーチャーした写真集のような本も読んだが、同社が多くの才能豊かなプロフェッショナルに支えられていることが分かる。

最近では、グリーの特集記事が日経ビジネスオンラインに出ていたが(「グリー躍進、本当の理由」http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091022/207799/)、その記事もグリーの本当の強さは田中社長を支える幹部の層の厚さ、強さにある、という趣旨だった。

どれだけ有能な経営者であっても、一人でできることは限られている。強烈なカリスマがいても、彼の周りに才能豊かなプロフェッショナルがいない会社は、それが成長の限界になっている気がする。

本当に大きなビジネスを作れる経営者とは、すなわち有能なプロフェッショナルをどれだけ惹きつけ、彼らをモチベーション高く働いてもらえるかということにあるのだな、ということを改めて感じた。

米国企業の方が「長期経営」?2010年08月05日

朝、Twitter を読むと、出口が以下のようにつぶやいていた:

『今朝の日経・経済教室は、数字・ファクト・ロジックで考える好例ー米国企業の方が配当より投資を重視し長期経営を行っている(だから日本企業は衰退した)。』

なるほどと思って、「経済教室」を読んでみた。しかし、私は逆の印象を受けた。分析はデータを恣意的、とは言わないまでも部分的にしか見せておらず、事実とは異なる結論を導いていると感じた。

本稿は「上場企業のうち配当を出している割合」という数字をグラフ化して、日本が圧倒的に高いことを示している。そこから、日本企業の方が配当が多く、米国企業は配当よりも成長のための投資を重視している、と述べている。

しかし、そもそも「有配企業の割合」という数字が本分析において意味を持つと思えない。小さな企業が1円でも配当を出していれば、それは「配当を出している」として「1票」がカウントされてしまう。やはり、経済全体へのインパクトを見るのであれば、純利益に対する配当総額の割合を見るべきである。

この点、筆者は「日本は赤字企業でも配当しているケースが多いので、配当性向で比較するのは難しい」とあるが、これは正しくない。配当をしている赤字企業が多ければ、その分純利益は低くなり、配当性向は高まるから、「赤字でも配当している」という事実は数字に反映される。

また、米国では株主還元の手段として配当よりも自己株取得が重視されており、こちらの数字を加えなくして株主還元は語ることはできない。

例えば、米国について最近の配当性向と還元性向(配当+自己株)をみると、以下の通り:

<米国>
      配当性向  還元性向
2000年 31%     74%
2001年 69%     149%
2002年 126%    268%
2003年 35%     68%
・・・
2007年 32%     117%
2008年 68%     175%
2009年 39%     101%

<日本>
      配当性向  還元性向
2000年 36%     47%
2001年 NM(赤字)  NM
2002年 52%     102%
2003年 26%     47%
・・・
2007年 30%     49%
2008年 NM      NM
2009年 56%     63%

やはり、「日本より米国企業の方が株主還元よりも将来のための投資を重視し、長期的経営を行ってきた」という結論は、counter-intuitive で面白いのですが、データから導くことは難しいように思える。

投資(設備投資、R&D)に関するデータは見れていないのですが。

日本が真の民主主義国家になるために2010年08月09日

政治の世界では、たった一人の議員が党を離れることが、大きなニュースとなりうる。また、議員の数が少ない政党であっても、(郵政民営化のような)重大な議案について、与党の政策運営に不釣り合いに大きな影響力を持ちうることは、私たちの記憶に新しい。

それは、政治の世界では「厳格な多数決主義」が貫かれているからである。僅かな差であっても、一票でも上回っていれば、それが多数の意見として、法案は成立する。その一票を取りに行くために、様々な政治工作や駆け引きが行われる。

これは、憲法56条2項が「両院の議事は、・・・出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる」と、多数決原則が定められていることに基づく。

このように、国会議員が投じる一票については厳格な多数決が貫かれているのに対して、その国会議員を選ぶために我々国民が投じる一票については、厳格な多数決原則どころか、数でいえば少数の選挙区民が多数の国会議員を選ぶという、「逆多数決」が成り立っている。

例えば、先の参院選で自民党は民主党に圧勝したが、得票数で見ると、民主党は2,270万票で28議席を獲得した一方、39 議席を獲得した自民党は、約1,950万票にすぎなかったのである。去年の衆院選では、全体の42%の国民が300人中151人を選出し、58%の国民が選んだ149人を上回っている。

最終的な国会議員の票について多数決原則が守られているとしても、彼らを選ぶ大前提の時点で多数決が取られていないのであれば、本末転倒ではないか。

この「一票の平等」という議員定数不均衡は、憲法を勉強した人間であれば必ず学ぶ問題である。しかし、私自身、学生時代に法律を学んだ者として、反省しなければならないかもしれない。それは、「衆院選についてはおよそ2倍まで、参院選についてはおよそ5倍までは合憲」という最高裁判例を、所与のものとして疑わずにいたからである。いわば、天動説であったわけだ。

その主たる理由は、「選挙制度は法律で定められるもの」であり、かつ「選挙制度は多分に技術的なもの」ゆえ、「国会にかなりの裁量が認められる」といったロジックであった(加えて、「参議院は特殊だからさらに大きな格差もOK」という理由づけもあった)。

しかし、そもそも「一人一人が平等に一票を持つ」という権利は、憲法上要請される重要な権利である。「2倍」「5倍」と表現すると、「まぁ自分は一票あるからいいか」と感じてしまうが、これは言い方を変えれば、「あの人は一票ですが、あなたは0.2票しかありません」ということと同じである。

例えば、「男性は一票、女性は0.2票」ということだったら、大問題であろう。「現役世代は一票、老人は0.5票」でも。現状の一票の格差というのは、これと本質は変わらない。先の例が性別や年齢による差別であったならば、現在の一票の格差は住所による差別、なのである。

あるいは、厳格に一人一票が実現されていたとして、選ばれた国会議員が、今度は選挙区によって票数が違ったら、どう感じるだろう?自分が選んだ代議士は、他の議員をあと4人つかまえてこないと、他の選挙区の代議士の一票に満たない、ということだったら?

このように考えると分かりやすいが、一人一票の原則は、民主主義の根幹をなす。米国では、1対1.007倍の格差(1票対0.993票)ですら違憲無効とされている。2倍、5倍の格差を容認しているわが国は、そもそも民主主義とは言えないのである。

考えてみると、国会議員は現状の選挙制度によって選ばれたので、制度の最大の利害関係者である。彼らに選挙制度の在り方を判断させるということは、野球でいえばいわばバッターが、アンパイア(球審)の役割を公正に演じられるわけがない。あくまで、一票の価値の平等という原則を遵守した上の技術的な裁量のみ持つと理解すべきである。

また、選挙の区割りが技術的なものであることは否めないし、都道府県単位で選挙区を考えている限りある程度の格差は是認しなければならないように見えるが、そもそも選挙区を都道府県を単位に決めなければいけないという根拠はない。上記のように憲法上の要請である厳格な多数決原則を実現するためには、既存の市・区・町・村・大字という住所単位を用いて県を超えた区割りをしていけば、十分に実現できるそうだ。現状の都道府県を前提とした選挙区を守るためには憲法上の権利が侵害されてもやむを得ない、というロジックは無茶である。

このような「一人一票」を実現するため、日本の法曹界を代表する弁護士の先生方が立ちあがった。青色発光ダイオード事件など様々な事件を勝ち取ってきた日本一の訴訟弁護士、升永英俊氏(http://www.hmasunaga.com/top_j.html)。日弁連副会長を務め、企業の人気弁護士ランキングで長らくトップの座を占め続けた、久保利英明氏(http://www.hibiyapark.net/profiles/kubori.html)の二人である。お二人が中心となって立ち上げられたのが、「一人一票実現国民会議」である。
http://www.ippyo.org/index.html

そして彼ら、日本の法曹界を代表する大御所弁護士2名と、私の学生時代の恩師である伊藤塾塾長、伊藤真弁護士が中心となって、現在裁判所に選挙の違憲無効を主張する訴訟を立て続けに起こしている。

まず、今年の5月13日に、升永・久保利・伊藤・田中克郎弁護士(TMI法律事務所創業者)の4名が上告代理人となって、昨年8月に行われた衆院選の東京1区における選挙の違憲無効訴訟を最高裁を相手に提起している。

この書面は、升永氏の弁護士人生の集大成とも言うべき技術と思いが込められた文章であり、「最高裁裁判官が違憲判決を下すことは、勇気が必要である。正義の実現には、勇気が求められる。勇気なくして、正義は実現できない」と述べられ、「本裁判は日本を民主主義国家に変えるか否かという、これから100年、1000年と続いていく日本の歴史に係る歴史的裁判だからです」という言葉で締めくくられている。法律家でなくとも読める文章なので、ぜひ一読して欲しい。
http://blg.hmasunaga.com/sub2/img/doc/jokoku.pdf

そして、ここ数週間で、このチームは全国14カ所の高裁・高裁支部で同様の訴訟を提起している。この訴訟は伊藤先生と伊藤塾出身の弁護士が主体となっている。連日の訴訟のために、先生はある日は岡山まで往復8時間かけて日帰りをし、ある日は金沢へ、秋田へと飛びまわっている。そして、訴訟には私が机を並べて学んだ昔の仲間も何人も加わっている。その事実を知ったときは、身震いがするほど、感動した。
http://blg.hmasunaga.com/main/2010/08/post-26.html
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010080522044316/

何も見返りもなく、ただ民主主義の実現のため、自分が信じる正義のために立ち上がり、行動を起こしている法律家の姿は、実に清々しい。

私には、一度は法律家を志し、伊藤先生の下で法律を学んだ人間として、この運動をできる限り応援する義務がある。今は、ひとりでも多くの人にこれを知ってもらうために、筆を取ることしかできない。しかし、自分にできうることは、これからも続けていきたいと思う。

そして、本件訴訟に係る裁判官の方々にも、先の上告理由書が述べるよう、勇気を持っていただきたい。純粋に法理論を追及すれば、一人一票を認めない理由は有り得ないのである。否定する根拠があるとしたら、政治的な配慮に過ぎない。故矢口洪一最高裁長官も、「戦後、裁判所は二流官庁だったし、政治的に共産圏にひっくり返されてはいけないという感覚があったので、大幅な不平等を認め続けた」ということを回想していた。しかし、これらの理由はもはやあてはまらない。

日本は、変わり得る。今、一つの大きな山が動き始めている。

8月12日2010年08月12日

朝、出社。まず出口の部屋へ。前日の出来事を雑談。部屋の外にいる秘書の川越と一日のスケジュールなどを確認。近くに座っているマーケティング担当役員の中田の横にしゃがみ込んで内緒話。それから階段を降りて、4階の執務スペースへ。

数理関係でお願いしていたペーパーをOが説明してくれる。10時に牛込神楽坂の歯医者へ。インプラント手術の抜歯。イタタタタ、、、ということは、もうない。すっと糸を抜いて、前回型を取って作ったマウスピースを渡される。新しい骨がちゃんとできるまで、眠っている間に思いがけず力がかからないよう、つけてください。15分程度で終了。

オフィスに戻って、再びPCの前に向かう。色々と原稿を書く。同僚のKとちょっと早めのランチに出かける。今日は風があってそこまで暑くなかったので、心地よい汗をかきながら四谷のタイ料理店まで足を延ばす。二人でじっくり話し合うのは久しぶり。テレビを中心とした広報戦略について、意見交換。明日から四国に帰省だって。

食後、店の前にあるたい焼きの名店「わかば」に立ち寄る。会社が60名近くになると、何個買うかが難しい。適当に8個注文したら、後ろでKが7個注文。紙袋に入った熱いたい焼きを手に、再び四谷から半蔵門まで歩く。

戻って社内のカフェスペースに。たまたま居合わせた人たちに順にたい焼きを配る。間もなく、1時から社内の役員でミーティング。下半期の予算について意見交換。続いて、ウェブチームの人間を招いて、申し込みページの遷移についてディスカッション。珍しく、ヒートアップするあの方々。喧々諤々の議論は望ましい。

14時から長いミーティング。社外の方々を招いて、会社の中長期的な姿をブレスト形式でディスカッション。3年後の会社の姿に思いを巡らす。ミーティングは16時前まで続く。

終わってからブログを書く・・・時間がない。17時に、社内納涼会のケータリングが届く。万が一のことがあってはいけないので、ひとつひとつ、丁寧に試食。いや、つまみ食い。

17時半過ぎ、皆が社内のカフェスペースに集まって懇親会。たまにはいいですね、皆で集まって社内で飲み食いしながらお喋りするのも。でも、18時半には皆デスクに戻っているのがライフネットらしい。

18時半には、以前から Twitter で意見交換を続けていた、カナダに留学していた年金アクチュアリーの @actuary.jp さんが来社。初対面だけど、まったく初めての感じがしないのはなぜだろう。取りとめもなく、様々な話をした。お別れしてから、色々とたまった作業をPCの前ですることに。

そんな、お盆の週のゆったりとした、一日でした。

法人税減税2010年08月14日

今週、とある勉強会で慶應の土居丈朗先生から法人税減税に関するお話を伺い、頭の中が整理された。以下、先生の著書「日本の税をどう見直すか」(日本経済新聞社)を参考に、自分なりの考えも交えながらポイントを整理する。

● 法人税は誰が負担しているのか?

一般的には、「消費税増税、法人税減税」の組み合わせは、「消費者冷遇、企業優遇」という批判をされがちである。しかし、これは誤っている。

よく考えてみると、企業の背後にはすべて個人がいる。もし法人税がもっと低ければ、労働者への賃金が高くなるかもしれないし、消費者が買う商品がもっと安くなるかも知れないし、債権者・株主への利払い・配当が増えるかも知れない。

つまるところ、法人税減税でメリットがあるのは、個人なのである。もちろん、企業が留保した利益をどのように配分するかについては裁量があるが、それは別の論点である。

● 日本の法人税は突出して高い

よく言われることだが、国際的に見て法人税率が40%の水準にあるのは米国と日本だけである。G7諸国は皆30%前後の水準にある。

しかし、真に比べるべき対象は英仏独ではない。企業の誘致や氏製品の販売で直接の「競合」となるのはアジア諸国である。中国・韓国・台湾は約25%、シンガポール・香港は20%以下である。

したがって、国境を越えた競争が進むなか、企業の競争力がなければ、賃金も上げることができない。まずは企業の競争力を高めることが、最優先で行われるべきである。

● 消費税は逆進的ではない?

減税する反面、増える社会保障費を賄うためには増税が不可欠であるが、そのためには消費税を上げることが望ましい。

この点、消費税は逆進的であるとの指摘があるが、誤っている。確かに、消費税は累進的ではないので、所得格差の是正には役立たない。しかし、一年ではなく消費者の生涯を通じてみれば、貯蓄されがお金もいつかは消費される。したがって、生涯を通じてみれば、消費税は所得に比例している。

というのが先生のロジックであったが、「貯蓄をしても将来に使うとは限らない」、すなわち、ずっと(金融商品などに)投資をしているだけだとしたら、生涯を通じて消費しないままでいるので、やはり所得が低い人の方が相対的に高く払うことになるのでは、という疑問は湧いた。今度、聞いてみよう。

もっとも、低所得者への配慮は、消費税の据え置きではなく、別の措置でやることが望ましい、ということは理解できる。

● 消費税を目的税化し、社会保障費に充当することが望ましい

全体としてどんぶり勘定にしてしまうと、いつまでたってもお金が足りない。そこで、必ず増えることになる社会保障費は別枠にして、そこは必要な額を消費税増税で賄う。

他方で、他の歳出については他の税金で補うことを前提に、歳出削減を通じた財政の健全化を図る。増えるものと減らすべきもの、両方があるので、二つに分けた方がシンプルで分かりやすいわけだ。

● 「消費税増税、法人税減税」の政策パッケージは、アナウンスメント効果が大きい

これは個人的な考えだが、上記のような政策を打ち出すことで、「日本が経済成長に向けて正しい方向に向かっている」というシグナルを、世界の資本市場に向けて送ることができる。

うまくいけば、企業の競争力が増し、投資が増えることに加えて、日本企業への投資が増え、株価が上がることで資産効果が生まれ、消費や投資が増えて、景気がいくらかよくなる。といった好循環が期待できる。

ファンダメンタルズをよくするには、構造的に時間がかかるだろう。しかし、まずは明るいシナリオを提示し、正しい方向へ向かっていることをアピールすることで、お金を日本に呼び込み、期待を含めて株価を上げることが、非常に大きな効果を持ちうると考える。「痛みを伴う改革」を標榜した小泉・竹中時代は、日本の株価が欧米諸国をアウトパフォームした時代だった、とどこかで読んだ。

以上、基本的なことばかりかもしれませんが、夏休みの勉強会で頭を整理した結果でした。

高齢者の医療費2010年08月23日

90歳を超えた祖母が入院していて、父と叔父で入院費用をずっと負担しているということを母に聞いた。ブログで取り上げようと思って机の上に積んだままになっていたのが、8月17日(火)の日経記事。

「医療費3.5%増 伸び最大 - 70歳以上、総額の44%」

2009年度の概算医療費は前年度比3.5%増の35兆3000億円。これは会社員や自営業者が払う保険料で約半分、税金で4割弱、患者の自己負担が約1割。今年の増加分の半分は75歳以上の医療費が占めた。

今後、高齢化が進むに連れ、医療費が増加していくのは目に見えている。とすると、取りうる方策は限られている。

1. 給付を抑制する
→ 医療のムダを無くす。これは必ずやらなければならない。

2. 税金を追加投入する
→ 国の財政は厳しいので限界あり

とすると、

3. 負担を増やす 

しかないわけだが、具体的には

(1) 現役世代の負担を増やす
(2) 高齢者の負担を増やす

の二つのオプションしかない。いずれかから選ぶとすると、(2) 手厚い給付に応じて、負担を増やすことがフェアだと考える。

そもそも、高齢者と一括りでいっても実際には多様である。収入や資産に応じて公平な負担を求めるべきである。「後期高齢者」などとグルーピングするから「姥捨て山」という批判を浴び、政治的にも実現が困難になるわけだ。

年金収入だって収入であるにはかわりはないのだから、ここは一旦年齢という括りを外して、すべて収入および資産で応分の負担を求めることはできないだろうか?

年金しか収入がないお年寄りが不安なのは分かるが、所得が低くても家族を養わなければならない現役世代、しかも将来は負担が増えるが給料が上がるかも先行き不透明で分からない世代だって、その不安は同じではないだろうか?

高齢者の医療費負担額を増やすことが政治的に困難であるなら、例えば「年金給付金額の引き上げ」と同時に「保険料+自己負担額の高齢者優遇撤廃」を実行してみたらどうだろう。当初は金額で互いに相殺するようなレベルに設定する(年金給付1兆円増、医療費負担1兆円増)。

そして、負担の引き上げについては、「高齢者を冷遇する制度から、年齢を問わず負担能力に応じた公平な制度への転換。富裕層に、もっと医療費を負担してもらおう」みたいなキャッチで伝える。

あるところで、橋下大阪府知事が「日本はもうお金がないんです。ぜんぜんないんです。ワガママ言う余裕はもうないんです。国民に言い難いことを伝えて説得するのが、リーダーの役割である」といったことを言っていた。まったくもって、そのとおりである。

高齢者の医療費は簡単な問題ではない。が、「政治的に無理」ということで思考停止せずに、なんとか突破口を見つられないものか。

国内承認遅れの海外医薬品2010年08月25日

昨日の日経新聞一面、厚労省のプレスリリースのような記事が出ていましたが、これはポジティブニュースという理解でよいのでしょうか?詳しい方、コメント頂けたらありがたいです。

「国内承認遅れの海外医薬品 保険適用迅速に

厚生労働省は23日、海外で標準的に使われているが国内では保険適用外の抗がん剤などについて「医療上の必要性が高い」と判断した場合、迅速に保険適用する方針を固めた。」

記事によると、日本の新薬承認プロセスが遅いため(平均4年、米国では1年半)、海外では標準治療薬なのに、国内では保険適用外となっている薬がいくつもある。この結果、抗がん剤など、患者に大きな経済的負担を強いている場合がある。

もっとも、患者や学会が早期承認を求めているのは全体で374件、今回認められたのは「別の疾患の治療薬としては国内で承認されており、日本人への安全性が一定程度、確認されている」5薬品とのこと。まだまだ、道のりは遠そう。

この問題、どう考えるべきなのですかね。

保険適用の承認が下りていないものは、未だ安全性などに疑いがあるのでそれらを使うことは望ましくない、という判断はそれなりの合理性があるようにも思える。他方で、海外で標準的に用いられているなら、(日本人への治験が十分でなくとも)問題が少ないように思える。人種による薬品の安全性の違い、かなりあるのだろうか。

仮に、安全性は確保されていて、もっぱら手続(+厚労省、医師会などが国内医療を管理したいこと)の問題だとしよう。保険適用対象が増えて行くことで医療費が増えるのは問題だ、という意見もあるかも知れない。しかし、たまたま行政手続が終わっていないために、患者が多額の自己負担を強いられるのは不公平、とも考えられる。

これが本当にタイムリーに進んでいったら、民間医療保険の必要性はますます下がるかも知れない。もともとは「保険適用外の出費に備えましょう」というのが売りなので。

思うに、本来我が国のように皆保険制度が確立している国(そして安定し続けるという前提)では(ドイツなどと同様に)、民間医療保険は「誰もが入るもの」ではなく、どちらかというと裕福な方々が「保険適用の医療では満足できない方々が、より高い出費を伴ってでもいい医療を受けたい」というニーズを充たすための保険、という色彩が強くあるべきではないか。

というわけで、考え中のプロセスをつらづらと書いてみました。この問題、医療や医療制度に詳しい方、もう少しインサイトを頂けたらありがたいです。

一人一票の地方格差2010年08月26日

一人一票の格差を容認する理由として、「少数者である地方の意見を反映させるために、地方の票に重みを持たせるべきではないか」という意見をよく見聞きする。

しかし、一票の格差問題は必ずしも「地方対都市部」に限らず、地方間でもある程度の差がある。

また、それ以上に興味深いのは、歴史的に裁判所が一票の格差を容認してきた理由が、このような「地方保護」という観点ではなかったことである。

日経新聞編集委員である三宅伸吾氏の名著「市場と法」(日経BP)によると、戦後の冷戦時代においては、まだ「資本主義対社会主義」というイデオロギーの戦いが残っており、都市部のインテリ層を中心に反体制的な動きが行われる可能性があったことが、地方票に重みを持たせることを是認した理由であるという。

「60年安保まで、インテリには社会主義が選択肢として残っていた。(格差訴訟で)体制を変える判決を政治家でもない最高裁判事は書けないだろう」

「(元外務省条約局長だった)福田(博)は05年に退官するまで格差訴訟で違憲判断を書き続けた。

冷戦時代の合憲判断について福田は『本音で判決を書けば、都市部の人は煽動に乗りやすく、体制選択の可能性が出てくるので、田舎の人を優遇しようということだった』と話す。こうした理由はもちろん最高裁判決には書かれていないが、福田はある判決のなかで、さらりと述べている。

『冷戦たけなわの時代にあっては、司法が定数訴訟において『広範な裁量権』の論理を用いることにより立法府に寛容な態度を示し続けることに対し、我が国の地政学的位置等から、内外の安定の重要性を第一に考え、公職選挙法の根本的改正につながるような事態を避けようとする考えに合致するとして黙認する風潮があったのかもしれない』。

退官した福田は『体制を守るための方便は緊急避難としてはあり得るだろうが、冷戦は終わり、体制選択の可能性は極めて低い。最高裁は国会に対するチェック機能をしっかり果たすべきではないか』と話す。」

少数者としての地方の利益を確保するための方策はもちろん必要ですが、それは票の重みを是正する形でやるべきではないと考えています。

「皆さんは、戦後の裁判所をご覧になって、『違憲立法審査権をもっと行使すべきだ』とおっしゃるけれども、今まで二流の官庁だったものが、急速にそんな権限をもらっても、できやしないです」。しかし、「これからは『闘う司法』でなければ駄目です。それが今後の司法だと思う」 (矢口元最高裁長官)。

ご存知ない方も多いかなと思い、ご紹介してみました。今日は17時から、伊藤真弁護士と一人一票運動について ustream 対談します。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1063

伊藤塾で学んだこと2010年08月27日

昨日は伊藤真先生と対談だった。

ふと、「自分が伊藤塾で学んだこと」というタイトルで書いたエッセーを思い出した。


(略) 
 振り返れば、このように前例がないキャリアパスを歩むなかで、私が伊藤塾で学んだこと、伊藤塾長から受けた影響は、私の確固たるバックボーンとなり、新しいチャレンジを支え続けてくれました。

 私の大学生活は、伊藤塾長と伊藤塾とともに過ごした4年間でした。大学1、2年はアルバイトに行く電車の中で講義テープを文字通り浴びるように聴き、大学2年の後半に伊藤塾ができることを知ると、私は渋谷の伊藤塾東京校に走り、開校初日に択一マスター講座を申し込みました(おぼろげな記憶によれば、塾生番号84番)。それからは講義が終わるたびに長い列に並び、「生」伊藤塾長を質問攻めにして、すっかり顔を覚えてもらえるようになりました。

 大学3年生の秋に口述試験不合格を経験した後は、伊藤塾長と扉ひとつ隔てた伊藤塾のオフィスで、スタッフとして講義テキストや答練作りに励むとともに、新しい企画を担当し、ゼミの講師も務めました。大学4年生の合格後は講師として本格的に教壇に立つようになり、卒業前にはアメリカ視察旅行を立ち上げました。

 そんな中、伊藤塾で学び続けたことは、ひとえにテクニカルな法律の知識や司法試験の準備にとどまるのではなく、より深く、将来に大きな広がりを持つものでした。

・ 世の中の争点を複数の視点から見つめ、徹底してロジカルな議論を詰めていくこと。それぞれの見方の背景には相異なる世界観や哲学があり、本質的に重要なのは枝葉の議論ではなく、これらの世界観を理解し、受容することであること。

・ 複雑な事象を説き解いて人に分かりやすく説明し、影響を与え、心を動かしていくために必要なコミュニケーションスキルのあり方。

・ それぞれが持っている才能を、より恵まれない人のために活かしていけなければならないという、noblesse obligeの精神。

・ 青臭いまでに崇高な理念を信じ、大きな目標を追求し続け、それを実現するために、自分なりにできることを着実に進めていくことの大切さ。

 いずれも1回や2回の講義で聴いたことではなく、多感な学生時代に、伊藤塾長から何年にも渡ってすり込まれてきた内容です。これらのことが、その後の自分の物事の考え方に大きな影響を与えないはずはありません。

 伊藤塾でともに勉強してきた仲間は、今でも私にとって大きな財産です。仕事の上では、親身になって案件に臨んでくれる、優秀な弁護士が大勢いることほど頼もしいことはありません。買収交渉のテーブルの両側に、伊藤塾の仲間がいたこともありました。受験時代から苦労をともにした友人たちとのつながりは堅固であり、今でも昔話に花を咲かせながら、悩みを聞いてもらうことも少なくありません。これだけ多くの大切な友人を作ることができたのも、伊藤塾には伊藤塾長の理念に惹かれた魅力的な学生が多数集まっていたからだと思います。


伊藤先生に学んだことは、今の自分のバックボーンとなっているわけです。

だからこそ、昨日の先生との対談「一人一票の実現こそが民主主義の根幹だ」はとても嬉しかった。

ustream、一人でも多くの方に見ていただきたいので、宜しくお願いします。
http://www.ustream.tv/recorded/9155489

では、よい週末をお過ごしください。