GNP 営業のベストプラクティス ― 2009年07月02日

大切な新聞記事
最近一月の二十日の東京朝日新聞の家庭欄に「我が家の自慢」といふ題でその頃連載されていたものの第六で「母の檜」総務、小林珠子女史の談である。
その見出しは、「ほがらかな家庭内閣」となって居り、主人が総理大臣、自分(小林女史)が文部大臣、長女が大蔵大臣、次女が司法大臣、息子3人を外務大臣とする家庭内閣を作り、家族会議を開き、一家の財政問題を論じ、計算を立てて、ほがらかにユーモア的に暮すといふことが前半に書いてあり、その後半に次の様なことが書いてある。
「また子どもが生まれ落ちるとすぐ、その教育の事を考へましたが、私達には少しの恒産もないので、まづ子供が一人生れるとすぐ経済の許す額だけ、主人に保険に入ってもらつたのです。いづれも二十年立てば取れる養老保険で、主人が壮健でいてくれれば、やがてそれが子供の教育費となり、娘のお嫁入りの助けとなるのです。貯金はどうしても使ひたくなるのが人情で、殊に私のやうに気の弱い者にはさう思はれるので保険にしたのです。・・・」
私は、これを見て、これは絶好の募集資料だ、と思った。早速これを、切り抜かうかと考へたが、待てしばし、之を切り抜いては価値がない、このまま新聞一枚を持っているに限ると、大切に自分の鞄の中に治めた。そして早速、その日の訪問予定先である田口氏の面会に、之を利用することに決めたのである。
(中略)
私は予定の如く、鞄の中から例の新聞紙を取出し、之を田口氏の前に差出し乍ら
「これは今日の東朝ですが、ここを御覧ください。それを見て下されば、私の用件は自然判りますから。」
と、云った。田口氏は一寸怪訝な顔をし乍ら、右の記事を読初め、私は悠然と煙草を燻らしていた。
しばらくして、之を読み終へ田口氏は、笑ひ乍ら、
「よく判りました。この件は、宅の大蔵大臣とよく相談して置きますから、二三日しても一度御出でくださいませんか。」
と云はれる。そこで私は、
「御尤もですが、幸ひここに家政顧問も来て居ることですから、もし御差支へなければ、ここへ大蔵大臣閣下にも来て頂いて家庭閣議を開いて頂く訳には行きますまいか」
とユーモアを混ぜて、願って見た。
やがて、奥様が赤ちゃんを抱へて表はれ、新聞を見て、
「そのことですか、それならば今朝拝見しました。大変に結構なことで、流石に「母の檜」の総務さんだけに、よく考へてらっしゃると感心しました。主人にも話して是非宅でも実行して貰ふことにしようと考へて居た所です。」
田口氏はこれを聞いて
「何だ、御前はもう見ていたのか。こりゃ驚いた」
「ネー貴方、丁度こうして御出で下さったのも何かの縁でせうから、早速都合のつくだけ加入しませうよ。」
こんな風で、少し唖然としている、私を前にして二人の間に小声で相談が始まり、保険料の相談があつて、二十年満期二千円の養老保険の申込を受けた。
●●●
手相、骨相、命の請合ひ
『君、何だい、人の顔を見るなり変な顔をしてさ。えんぎが悪いから帰って貰はふ。』
『いや、お暇いたしませう。ああ、それにしてもお気の毒なことです。』
『お気の毒とは何だい。ええ、君、変なことはよしてもらはふ。』
『いや、何も申し上げますまい。唯、一寸顔相をやっていましたのでね。』
その儘そこを引き離れやうとすると、主人はあわてて私をとめながら、
『何かな、さう云はれては気分が済まん。君の今云ったことをどうか聞かせて呉れ。』
『いや申し上げません。申し上げる必要もありません。』
『マア、そう云わずに話して呉れ、これは別問題だ。』
『さう御主人の方で出られればお話申し上げませう。実はその御顔の黒子がどうも面白くありません。御注意なさらんと。』
『この黒子かい。どうゆうわけです。』
『これは左相といって横死を意味する。余程御注意なさらんといけません。何か思ひ当たることでもありませんかな。』
主人はすっかりうなだれてしまったのである。
『悪い事は云ひません。保険へ御加入になってその保険金で社会事業に御奉公下さい』
遂に一萬円と云ふ高額をせしめたものです。顔相は人間の一番触れられたくない処へ触れると云ふ意味で、何時の世にも魅力がありますね。
●
怪我の功名
『庄さん、僕、実は頼みがあつて来たんだよ。外でもないんだが、保険屋になつちまつて。マア、一年くらいは外交をやる約束でね。一つ心配して呉れないか、無理なことは云へないが。』
と堅く云ひだすと、彼は一寸怪訝な顔付になつて、次のように云ひました。
『ヘエ、坊ちゃんが保険の外交に。眞ですかそりあ。時勢も変わったもんだ、大和屋の若旦那が外交員をやらなくてはならんとは。ヨロシイ、庄公一つ引き受けせう。ご恩返しだ。然し少し待つて下さいよ。明後日お出で下さい。一緒に外交に行きませう。』
私の胸は感謝の涙で一杯になった。これでやつと会社へも大きな顔をして行ける。
●●●
「募集実話」、生命保険経営という学会誌の1932年より。
生保営業の本質について、80年前の事例が教えてくれること。とっても勉強になります!
こちらより入手可能
http://www.seihokeiei.jp/
1929年の論文にまでさかのぼってデータベースで検索できるとは・・・すごすぎる。こうやって知が共有されることで、業界がよい方向へ発展していくのでしょう。必死に勉強してみようと思います。
最近一月の二十日の東京朝日新聞の家庭欄に「我が家の自慢」といふ題でその頃連載されていたものの第六で「母の檜」総務、小林珠子女史の談である。
その見出しは、「ほがらかな家庭内閣」となって居り、主人が総理大臣、自分(小林女史)が文部大臣、長女が大蔵大臣、次女が司法大臣、息子3人を外務大臣とする家庭内閣を作り、家族会議を開き、一家の財政問題を論じ、計算を立てて、ほがらかにユーモア的に暮すといふことが前半に書いてあり、その後半に次の様なことが書いてある。
「また子どもが生まれ落ちるとすぐ、その教育の事を考へましたが、私達には少しの恒産もないので、まづ子供が一人生れるとすぐ経済の許す額だけ、主人に保険に入ってもらつたのです。いづれも二十年立てば取れる養老保険で、主人が壮健でいてくれれば、やがてそれが子供の教育費となり、娘のお嫁入りの助けとなるのです。貯金はどうしても使ひたくなるのが人情で、殊に私のやうに気の弱い者にはさう思はれるので保険にしたのです。・・・」
私は、これを見て、これは絶好の募集資料だ、と思った。早速これを、切り抜かうかと考へたが、待てしばし、之を切り抜いては価値がない、このまま新聞一枚を持っているに限ると、大切に自分の鞄の中に治めた。そして早速、その日の訪問予定先である田口氏の面会に、之を利用することに決めたのである。
(中略)
私は予定の如く、鞄の中から例の新聞紙を取出し、之を田口氏の前に差出し乍ら
「これは今日の東朝ですが、ここを御覧ください。それを見て下されば、私の用件は自然判りますから。」
と、云った。田口氏は一寸怪訝な顔をし乍ら、右の記事を読初め、私は悠然と煙草を燻らしていた。
しばらくして、之を読み終へ田口氏は、笑ひ乍ら、
「よく判りました。この件は、宅の大蔵大臣とよく相談して置きますから、二三日しても一度御出でくださいませんか。」
と云はれる。そこで私は、
「御尤もですが、幸ひここに家政顧問も来て居ることですから、もし御差支へなければ、ここへ大蔵大臣閣下にも来て頂いて家庭閣議を開いて頂く訳には行きますまいか」
とユーモアを混ぜて、願って見た。
やがて、奥様が赤ちゃんを抱へて表はれ、新聞を見て、
「そのことですか、それならば今朝拝見しました。大変に結構なことで、流石に「母の檜」の総務さんだけに、よく考へてらっしゃると感心しました。主人にも話して是非宅でも実行して貰ふことにしようと考へて居た所です。」
田口氏はこれを聞いて
「何だ、御前はもう見ていたのか。こりゃ驚いた」
「ネー貴方、丁度こうして御出で下さったのも何かの縁でせうから、早速都合のつくだけ加入しませうよ。」
こんな風で、少し唖然としている、私を前にして二人の間に小声で相談が始まり、保険料の相談があつて、二十年満期二千円の養老保険の申込を受けた。
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手相、骨相、命の請合ひ
『君、何だい、人の顔を見るなり変な顔をしてさ。えんぎが悪いから帰って貰はふ。』
『いや、お暇いたしませう。ああ、それにしてもお気の毒なことです。』
『お気の毒とは何だい。ええ、君、変なことはよしてもらはふ。』
『いや、何も申し上げますまい。唯、一寸顔相をやっていましたのでね。』
その儘そこを引き離れやうとすると、主人はあわてて私をとめながら、
『何かな、さう云はれては気分が済まん。君の今云ったことをどうか聞かせて呉れ。』
『いや申し上げません。申し上げる必要もありません。』
『マア、そう云わずに話して呉れ、これは別問題だ。』
『さう御主人の方で出られればお話申し上げませう。実はその御顔の黒子がどうも面白くありません。御注意なさらんと。』
『この黒子かい。どうゆうわけです。』
『これは左相といって横死を意味する。余程御注意なさらんといけません。何か思ひ当たることでもありませんかな。』
主人はすっかりうなだれてしまったのである。
『悪い事は云ひません。保険へ御加入になってその保険金で社会事業に御奉公下さい』
遂に一萬円と云ふ高額をせしめたものです。顔相は人間の一番触れられたくない処へ触れると云ふ意味で、何時の世にも魅力がありますね。
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怪我の功名
『庄さん、僕、実は頼みがあつて来たんだよ。外でもないんだが、保険屋になつちまつて。マア、一年くらいは外交をやる約束でね。一つ心配して呉れないか、無理なことは云へないが。』
と堅く云ひだすと、彼は一寸怪訝な顔付になつて、次のように云ひました。
『ヘエ、坊ちゃんが保険の外交に。眞ですかそりあ。時勢も変わったもんだ、大和屋の若旦那が外交員をやらなくてはならんとは。ヨロシイ、庄公一つ引き受けせう。ご恩返しだ。然し少し待つて下さいよ。明後日お出で下さい。一緒に外交に行きませう。』
私の胸は感謝の涙で一杯になった。これでやつと会社へも大きな顔をして行ける。
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「募集実話」、生命保険経営という学会誌の1932年より。
生保営業の本質について、80年前の事例が教えてくれること。とっても勉強になります!
こちらより入手可能
http://www.seihokeiei.jp/
1929年の論文にまでさかのぼってデータベースで検索できるとは・・・すごすぎる。こうやって知が共有されることで、業界がよい方向へ発展していくのでしょう。必死に勉強してみようと思います。
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