公開質問状への回答 - 生命保険のカラクリ ― 2009年10月16日
ボストンに留学してすぐに、帰国する日本人から自動車を買った。車検手続きをするために日本人がいる保険代理店に行って、そこで合わせて自動車保険に加入した。
驚いたのは、保険料が住んでいる地域によって、丸っきり異なったこと。特にボストン市内は、安い地域と比べて数倍違ったように記憶している。一本道を隔てた隣の市でも、保険料が全然違った。
米国では交通事故だけでなく、自動車のガラスを割った盗難事故が非常に多い。だから、犯罪の発生率が違う地域で保険料が全然異なる、とのことだった。
これに加えて、走行距離や過去の事故歴も問題となる。日本人の担当者がいてくれたので、日本から無事故証明書を取り寄せて、それで安い保険料で手続きをしてもらうことができた。
保険だけでなく金融全般でそうだが(たとえば住宅ローンを想定してみよう)、「高リスク=高料率、低リスク=低料率」というのはリスクの引き受けを生業とする金融業の基本である。
逆に、そうせずに一律で料率を設定することは、リスク管理の観点(高リスク者ばかりが集まる)か、競争力ないし超過収益(必要以上に高い利率を設定する)の二つの点から望ましくない。
突き詰めていけば、原因と結果の因果関係を説明する統計データの裏づけがある限り、また、業務の安定的な運営上可能な限り、リスクの区分はできるだけ細かくしていくことが望ましい。究極的には、ひとりひとり、保険料が違ってもいいはずだ。
実際、米国では自動車保険の料率をさらに細分化すべく、保険会社が自動車に端末を設置し、詳細の走行記録(発進時のスピードの出し方など)を取り、事故率の関連を調べようとしている。
*****
生命保険(医療保険も含む。以下、同じ)についても、保険の金融的な側面から考えると、リスクに応じた料率設定が当然になる。喫煙・非喫煙の有無で料率が違う商品を、死亡保険についてはわが国の保険会社も販売している。
http://www.hoken-erabi.net/seihoshohin/goods/kenkotai01.htm
医療保険についてはまだほとんど存在しない。しかし、健康について努力をしている人がそうでない人よりも安い保険料ですむことはフェアとも考えられるし、そういう制度を設けることによって健康増進がかえって進む、とも考えられる。僕らのところにも、何社もの健康関連事業に取り組まれている会社から、相談が寄せられている。また、協会けんぽでは前月から都道府県別の保険料への移行を開始ししている。
http://www.kyoukaikenpo.or.jp/8,12390,131.html
そして、遺伝子情報から各人の死亡リスクや疾病リスクも分かる時代が来れば、ひとりひとりについて個別の保険料を設定することも考えられる。
この考えに対しては、自動車保険などの原理を生命保険に当てはめるべきではない、との反論が考えられる。自動車保険とは違って、病気リスクを高める要因のなかには、先天的で本人がどうしようもないものも多く含まれるからだ。(遺伝子情報を例としてあげてしまうと生命倫理に関する議論にまで発展してしまいかねないが、本稿での趣旨とはずれるので捨象する。)
しかし、保険の原理原則から考えると、本人がコントロール可能なリスク要因か否かは料率設定に関係ない。信用リスクが低い人は、それが自分の責任であるか否かを問わず、高い金利払いを余儀なくされるのであるのと同様である。
生命保険についてリスク細分を推し進めるのが適当でないのは、これらが金融としての保険の側面だけでなく、社会保障としての側面を大きく持っていることによる。
社会保障は、憲法第25条で唄われている国民の権利であり、国家の義務である:
第25条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
民間生命保険は、このような憲法の趣旨を体現して国が運営する遺族年金・健康保険を補完するものなのである。
公的な保険は金融としての保険の側面よりも社会保障が主軸であるから、リスク細分どころか、「逆・リスク細分」ともいえる「リスクの再分配」が行われている。
つまり、年齢や健康状態によっても保険料率は変わらない。あるいは高齢者の方がもっと安い。実質的には高齢者から若い人へ、また病気の人から健康な人へリスクが移転されているのである。(これに所得比例も加わり、所得の再分配も行われている。)これは、「全員加入」を前提としているため、成り立つ方式である。
これに加えて、生命保険(特に医療保険)については「加入できる」というアクセスが大変重要になる。国民皆保険が存在しない米国では、保険料が払えない無保険者が4,600万人ものぼり、重症の患者が病院で拒否して死亡する事例なども相次ぎ、大きな社会問題になっている。
*****
では、民間生命保険では、どこまでリスクを細かく分けていくべきだろうか。
この問いは結局のところ、「生命保険の金融的側面と社会保障的側面をどこでバランス取るか」という問いにほかならない。
その答えは、公的な生命保険がどの程度の役割を果たしており、それを補完する民間生命保険がどの程度の役割を果たさなければならないのか、ということに依る。
たとえば、遺族年金と健康保険(公的医療保険)のカバー率が100%に近いとしよう。遺族に対しては生活するに十分な額の年金が支払われ、医療費の自己負担はゼロ。
このような制度のもとでも、民間の生命保険は「もっと欲しい」層に向けて商品を提供することが考えられる(5億円死亡保険が欲しい、など)。この場合、民間の生命保険には社会保障の役割は相当程度薄まっているのだから、金融的側面を全面的に強調し、ひとりひとり保険料が違ってもよいと考えられる。
では、わが国では公・民の割合はどうなっているのだろう。
手元には少し古いデータしかないのだが、
・ 死亡保障: 公 4.6兆円、民 3.4兆円
・ 医療保障: 公 14.8兆円(保険医療)、民 8,200億円
となっている(2001年度。新著「生命保険のカラクリ」p.117でも引用した)。これを見るとわかるのは、死亡保障では、民が公に近い重要な役割を占めることである。これに対して医療保険は公がメインであり、民は小さく補完するに過ぎない。
とすれば、この割合を所与のものとすると、結論は明確である。死亡保障については社会保障的な側面が強いので、あまりリスク細分を進めることは望ましくない(せめて喫煙、非喫煙程度か)。
これに対して、いくらかラグジュアリー(経済的ではなく、必ずしも必要のない心理的な安心を買っているという意味で)に近い医療保障については、社会保障の側面が低いので、統計上、そして引受実務上可能な限り、リスク細分を進めるべきなのである。究極的には、一人ひとり保険料が変わってもよいと考える。
この場合、たとえば先天的に病気の人は高額の保険料を払わない限り医療保険に入れない、というアクセスが問題になるが、このような人への「リスク・所得の再分配」は、(少なくとも現状の枠組みでは)民間生保が行うことではなく、公がやるべきことなのである。
もっとも、この議論は、医療保険においても民間の割合が高くなっていったら変わってきて、死亡保障の結論に近づいてくるものと考える。
*****
以上が、新著「生命保険のカラクリ」に関する「書評兼公開質問状」として小飼弾氏から頂いた質問、「生命保険においてどこまでリスク細分を進めるべきか?」に対する回答である。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51307506.html
小飼さん、ご紹介ありがとうございました!
新著、いよいよ明日(10月17日)から大手書店を中心に発売開始です。小さい本屋さんは、もう少し後になるかも、とのこと。文春のサイトで序章が立ち読みできるようなので、ぜひ!
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607235
驚いたのは、保険料が住んでいる地域によって、丸っきり異なったこと。特にボストン市内は、安い地域と比べて数倍違ったように記憶している。一本道を隔てた隣の市でも、保険料が全然違った。
米国では交通事故だけでなく、自動車のガラスを割った盗難事故が非常に多い。だから、犯罪の発生率が違う地域で保険料が全然異なる、とのことだった。
これに加えて、走行距離や過去の事故歴も問題となる。日本人の担当者がいてくれたので、日本から無事故証明書を取り寄せて、それで安い保険料で手続きをしてもらうことができた。
保険だけでなく金融全般でそうだが(たとえば住宅ローンを想定してみよう)、「高リスク=高料率、低リスク=低料率」というのはリスクの引き受けを生業とする金融業の基本である。
逆に、そうせずに一律で料率を設定することは、リスク管理の観点(高リスク者ばかりが集まる)か、競争力ないし超過収益(必要以上に高い利率を設定する)の二つの点から望ましくない。
突き詰めていけば、原因と結果の因果関係を説明する統計データの裏づけがある限り、また、業務の安定的な運営上可能な限り、リスクの区分はできるだけ細かくしていくことが望ましい。究極的には、ひとりひとり、保険料が違ってもいいはずだ。
実際、米国では自動車保険の料率をさらに細分化すべく、保険会社が自動車に端末を設置し、詳細の走行記録(発進時のスピードの出し方など)を取り、事故率の関連を調べようとしている。
*****
生命保険(医療保険も含む。以下、同じ)についても、保険の金融的な側面から考えると、リスクに応じた料率設定が当然になる。喫煙・非喫煙の有無で料率が違う商品を、死亡保険についてはわが国の保険会社も販売している。
http://www.hoken-erabi.net/seihoshohin/goods/kenkotai01.htm
医療保険についてはまだほとんど存在しない。しかし、健康について努力をしている人がそうでない人よりも安い保険料ですむことはフェアとも考えられるし、そういう制度を設けることによって健康増進がかえって進む、とも考えられる。僕らのところにも、何社もの健康関連事業に取り組まれている会社から、相談が寄せられている。また、協会けんぽでは前月から都道府県別の保険料への移行を開始ししている。
http://www.kyoukaikenpo.or.jp/8,12390,131.html
そして、遺伝子情報から各人の死亡リスクや疾病リスクも分かる時代が来れば、ひとりひとりについて個別の保険料を設定することも考えられる。
この考えに対しては、自動車保険などの原理を生命保険に当てはめるべきではない、との反論が考えられる。自動車保険とは違って、病気リスクを高める要因のなかには、先天的で本人がどうしようもないものも多く含まれるからだ。(遺伝子情報を例としてあげてしまうと生命倫理に関する議論にまで発展してしまいかねないが、本稿での趣旨とはずれるので捨象する。)
しかし、保険の原理原則から考えると、本人がコントロール可能なリスク要因か否かは料率設定に関係ない。信用リスクが低い人は、それが自分の責任であるか否かを問わず、高い金利払いを余儀なくされるのであるのと同様である。
生命保険についてリスク細分を推し進めるのが適当でないのは、これらが金融としての保険の側面だけでなく、社会保障としての側面を大きく持っていることによる。
社会保障は、憲法第25条で唄われている国民の権利であり、国家の義務である:
第25条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
民間生命保険は、このような憲法の趣旨を体現して国が運営する遺族年金・健康保険を補完するものなのである。
公的な保険は金融としての保険の側面よりも社会保障が主軸であるから、リスク細分どころか、「逆・リスク細分」ともいえる「リスクの再分配」が行われている。
つまり、年齢や健康状態によっても保険料率は変わらない。あるいは高齢者の方がもっと安い。実質的には高齢者から若い人へ、また病気の人から健康な人へリスクが移転されているのである。(これに所得比例も加わり、所得の再分配も行われている。)これは、「全員加入」を前提としているため、成り立つ方式である。
これに加えて、生命保険(特に医療保険)については「加入できる」というアクセスが大変重要になる。国民皆保険が存在しない米国では、保険料が払えない無保険者が4,600万人ものぼり、重症の患者が病院で拒否して死亡する事例なども相次ぎ、大きな社会問題になっている。
*****
では、民間生命保険では、どこまでリスクを細かく分けていくべきだろうか。
この問いは結局のところ、「生命保険の金融的側面と社会保障的側面をどこでバランス取るか」という問いにほかならない。
その答えは、公的な生命保険がどの程度の役割を果たしており、それを補完する民間生命保険がどの程度の役割を果たさなければならないのか、ということに依る。
たとえば、遺族年金と健康保険(公的医療保険)のカバー率が100%に近いとしよう。遺族に対しては生活するに十分な額の年金が支払われ、医療費の自己負担はゼロ。
このような制度のもとでも、民間の生命保険は「もっと欲しい」層に向けて商品を提供することが考えられる(5億円死亡保険が欲しい、など)。この場合、民間の生命保険には社会保障の役割は相当程度薄まっているのだから、金融的側面を全面的に強調し、ひとりひとり保険料が違ってもよいと考えられる。
では、わが国では公・民の割合はどうなっているのだろう。
手元には少し古いデータしかないのだが、
・ 死亡保障: 公 4.6兆円、民 3.4兆円
・ 医療保障: 公 14.8兆円(保険医療)、民 8,200億円
となっている(2001年度。新著「生命保険のカラクリ」p.117でも引用した)。これを見るとわかるのは、死亡保障では、民が公に近い重要な役割を占めることである。これに対して医療保険は公がメインであり、民は小さく補完するに過ぎない。
とすれば、この割合を所与のものとすると、結論は明確である。死亡保障については社会保障的な側面が強いので、あまりリスク細分を進めることは望ましくない(せめて喫煙、非喫煙程度か)。
これに対して、いくらかラグジュアリー(経済的ではなく、必ずしも必要のない心理的な安心を買っているという意味で)に近い医療保障については、社会保障の側面が低いので、統計上、そして引受実務上可能な限り、リスク細分を進めるべきなのである。究極的には、一人ひとり保険料が変わってもよいと考える。
この場合、たとえば先天的に病気の人は高額の保険料を払わない限り医療保険に入れない、というアクセスが問題になるが、このような人への「リスク・所得の再分配」は、(少なくとも現状の枠組みでは)民間生保が行うことではなく、公がやるべきことなのである。
もっとも、この議論は、医療保険においても民間の割合が高くなっていったら変わってきて、死亡保障の結論に近づいてくるものと考える。
*****
以上が、新著「生命保険のカラクリ」に関する「書評兼公開質問状」として小飼弾氏から頂いた質問、「生命保険においてどこまでリスク細分を進めるべきか?」に対する回答である。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51307506.html
小飼さん、ご紹介ありがとうございました!
新著、いよいよ明日(10月17日)から大手書店を中心に発売開始です。小さい本屋さんは、もう少し後になるかも、とのこと。文春のサイトで序章が立ち読みできるようなので、ぜひ!
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607235
コメント
_ もう大学院生 ― 2009年10月17日 08:15
_ 通りすがりの外資生保 ― 2009年10月17日 22:46
こんばんは、業界人です(笑)
以下は「もう大学院生さんのコメントへのコメント」と、リスク細分化に関する私見です。
岩瀬さんの本の内容をまだ見てない立場ですし、また小飼氏のブログも毎回見ている身分ではない、また私自身は顧客対応するポジションであり、保険数理や商品企画畑など事務のプロではないので、気をつけてコメントしたいと思います。
まず、本件は小飼氏が岩瀬さんに向け「書評兼公開質問状」として取り上げ、「著者は・・・望んでいるのか?それを知りたい」と言っています。
よって、「著者である」岩瀬さんがその回答としてご自身の考え、スタンスやロジックを展開することは理にかなっているのではないかと感じます。ましてや正解のない話題ですので、小飼氏も業界のあるべき姿を知りたいのではなく岩瀬さんの私見を尋ねた、あるいは小飼氏なりの考えがあり岩瀬さんに挑戦した?・・・って感じではないでしょうか?
なお、今回のエントリーについては、私から見るととっても意外で新鮮な切り口からの理論展開だったので純粋に興味深く読ませていただきました。
さすが、論客だなぁという感じです。
一方、その内容に関して、官と民の果たすべき役割(あるいはその役割の負担度合い)と民間生保のリスク細分化の進み方が連動するというのは、個人的にはしっくりと来ないのも事実です。
民間生保が公的保障を補完する存在であり、「相互扶助」という精神に則ったものであることはまったく同意見ですが、同時に競争のある営利(金融)企業という一面をである限り、将来的に民間生保の比率が高まったとしても、「所得の再分配」という機能を有することにはなりえないかと思います。
なぜなら「所得の再分配」の意味するところは、『契約者の公平性』を損なわせることに通じ、これは一部の契約者からみると極めて不条理な話であり、結果的に成り立たないと思うからです。
(さらに言えば、契約者の公正性を損なわせることは生命保険の大原則に反するように思えるのですが、私の理解不足??可能なら岩瀬さんに聞いてみたいです)
ということで・・・
自分の意見も言わなければフェアではないと思うので、個人的に思うリスク細分化が進まない理由を述べます。
①細分化すればするほどシステム上の負荷が増しコスト負担が大変(営利企業としての悩み)
②実はすでにリスクはかなり細分化されている(健康、職業の査定により事後的に細分化されている)
①はシステムはもちろん他の事務処理等にも大きく影響し、コストを左右するのではないでしょうか?
細分化を繰り返した結果、その集団規模がどんどん小さくなり契約件数あたりのコストがアップし、結果的に細分化しないほうが安い保険料で提供できるなどのパラドックスに陥るような気もします。
(まぁ、臨界ポイントがあるのでしょうが。ここはシステムや事務の詳しい方に聞いてみたいですね^^)
②に関してですが、保険に加入する際には体況(健康状態)や職業等の告知(あるいは診査)があり、その上で「査定」というものがあります。
その結果によっては、当初提示された保障内容や保険料ではお引き受けできないケースがあり、下記のような「特別条件」というものが付加されます。
A)無条件(当初の保障、保険料通り)
B)謝絶(保険加入不可)
C)特別条件(何かしらのデメリットを受け入れれば契約可能)
・特別保険料(当初見積もられた保険料の割増)
・削減(何年かは何割かの保障しか得られない)
・部位不担保(たとえば胃潰瘍で通院中だと胃の入院、手術が免責になる)
上記が全てではありませんが、代表的なものはこんな感じです。(弊社の場合)
それ以外にも特別条件ではありませんが、年齢・収入・資産や職業などで引き受けの上限もありえます。
そしてこれらは個別の保険会社によって査定や条件は異なることもあります。
例えば「妊娠中」に医療保険に加入する場合、ある保険会社では「妊娠中」であること自体で産後までは加入不可ですが、ある会社では一定の要件で無条件で加入できます。またその要件を満たさない場合でも「分娩関係を免責」などで他の病気での入院や手術には備えられます。
つまり、初めから「細分化されたメニュー」がなくとも、このような保険会社ごと、契約者の状況で個別の契約条件が存在するということ自体が、すでに生命保険はすでにかなりリスクが細分化されているとも言えるのではないでしょうか。
このあたりのことは業界以外の方(お客様)はあまりご存じないと思いますので、私見を兼ねて・・・です。
以下は「もう大学院生さんのコメントへのコメント」と、リスク細分化に関する私見です。
岩瀬さんの本の内容をまだ見てない立場ですし、また小飼氏のブログも毎回見ている身分ではない、また私自身は顧客対応するポジションであり、保険数理や商品企画畑など事務のプロではないので、気をつけてコメントしたいと思います。
まず、本件は小飼氏が岩瀬さんに向け「書評兼公開質問状」として取り上げ、「著者は・・・望んでいるのか?それを知りたい」と言っています。
よって、「著者である」岩瀬さんがその回答としてご自身の考え、スタンスやロジックを展開することは理にかなっているのではないかと感じます。ましてや正解のない話題ですので、小飼氏も業界のあるべき姿を知りたいのではなく岩瀬さんの私見を尋ねた、あるいは小飼氏なりの考えがあり岩瀬さんに挑戦した?・・・って感じではないでしょうか?
なお、今回のエントリーについては、私から見るととっても意外で新鮮な切り口からの理論展開だったので純粋に興味深く読ませていただきました。
さすが、論客だなぁという感じです。
一方、その内容に関して、官と民の果たすべき役割(あるいはその役割の負担度合い)と民間生保のリスク細分化の進み方が連動するというのは、個人的にはしっくりと来ないのも事実です。
民間生保が公的保障を補完する存在であり、「相互扶助」という精神に則ったものであることはまったく同意見ですが、同時に競争のある営利(金融)企業という一面をである限り、将来的に民間生保の比率が高まったとしても、「所得の再分配」という機能を有することにはなりえないかと思います。
なぜなら「所得の再分配」の意味するところは、『契約者の公平性』を損なわせることに通じ、これは一部の契約者からみると極めて不条理な話であり、結果的に成り立たないと思うからです。
(さらに言えば、契約者の公正性を損なわせることは生命保険の大原則に反するように思えるのですが、私の理解不足??可能なら岩瀬さんに聞いてみたいです)
ということで・・・
自分の意見も言わなければフェアではないと思うので、個人的に思うリスク細分化が進まない理由を述べます。
①細分化すればするほどシステム上の負荷が増しコスト負担が大変(営利企業としての悩み)
②実はすでにリスクはかなり細分化されている(健康、職業の査定により事後的に細分化されている)
①はシステムはもちろん他の事務処理等にも大きく影響し、コストを左右するのではないでしょうか?
細分化を繰り返した結果、その集団規模がどんどん小さくなり契約件数あたりのコストがアップし、結果的に細分化しないほうが安い保険料で提供できるなどのパラドックスに陥るような気もします。
(まぁ、臨界ポイントがあるのでしょうが。ここはシステムや事務の詳しい方に聞いてみたいですね^^)
②に関してですが、保険に加入する際には体況(健康状態)や職業等の告知(あるいは診査)があり、その上で「査定」というものがあります。
その結果によっては、当初提示された保障内容や保険料ではお引き受けできないケースがあり、下記のような「特別条件」というものが付加されます。
A)無条件(当初の保障、保険料通り)
B)謝絶(保険加入不可)
C)特別条件(何かしらのデメリットを受け入れれば契約可能)
・特別保険料(当初見積もられた保険料の割増)
・削減(何年かは何割かの保障しか得られない)
・部位不担保(たとえば胃潰瘍で通院中だと胃の入院、手術が免責になる)
上記が全てではありませんが、代表的なものはこんな感じです。(弊社の場合)
それ以外にも特別条件ではありませんが、年齢・収入・資産や職業などで引き受けの上限もありえます。
そしてこれらは個別の保険会社によって査定や条件は異なることもあります。
例えば「妊娠中」に医療保険に加入する場合、ある保険会社では「妊娠中」であること自体で産後までは加入不可ですが、ある会社では一定の要件で無条件で加入できます。またその要件を満たさない場合でも「分娩関係を免責」などで他の病気での入院や手術には備えられます。
つまり、初めから「細分化されたメニュー」がなくとも、このような保険会社ごと、契約者の状況で個別の契約条件が存在するということ自体が、すでに生命保険はすでにかなりリスクが細分化されているとも言えるのではないでしょうか。
このあたりのことは業界以外の方(お客様)はあまりご存じないと思いますので、私見を兼ねて・・・です。
_ Endo ― 2009年10月18日 22:08
本の出版、おめでとうございます。早速に、大変興味深く、かつ楽しく読むことができました。ありがとうございました。
岩瀬さんと同じ業界で、経験年数は岩瀬さんよりもかなり?長いのですが、とくに日本の外の視点では、自分自身の視野の狭さを感じました。
例えば、ウオーレン・バフェット(P12, 149)のことは、ほとんど知りませんでした。米国の生保一般勘定のポートフォリオの状況(P154)、米国の人気マネーサイト“Smart Money”のこと(P88)なども知りませんでした。加えて、「行動経済学(P79)」についても、です。
「行動経済学」の意味するところで、頭にイメージしたのが、少し突飛かもしれませんが、「なぜ、日本は第2次世界大戦に突入をしたのか?」です。これは、当時においても、負けると分かっていた人は少なくなかったと聞きます。「日本人の愚かさ」を感じたりもしたのですが、行動経済学に基づけば(戦争は経済ではありませんが)、日本人だけでなく「人間」は合理的な行動だけでなく、感情などに左右されて行動することがある、ということで少し変な安心をしてしまったりしました。
「災害割増特約の(存在)意味が理解できない(P138)」とありました。推察となりますが、次の理由を考えてみました。災害保障は疾病保障よりも歴史は古く、戦前より損保を中心に傷害に対する保障があり、そのニーズもあったこと。例えば、今では、戦争による保険金支払は免責事由となりますが、日清戦争、日露戦争の時代において、生命保険会社は保険金を支払う事で生命保険のステータスを上げています。また、災害保障の料率は、疾病保障に比べて、年齢による差異が小さいため、その設定がしやすく、かつ低廉な料率にもなります。戦後、高度成長を迎えるまで、一般の家庭では、十分な普通死亡保障が得られなかったと考えられる中で、災害保障は付加しやすかったのではないでしょうか。その流れが続き、行動経済学にも基づき?好まれて、今なお残っているように思います。また、生命保険会社は、貯金のような商品を販売できませんので、低廉な災害保障を付加し、保険として販売するケースもあると思います。
これからも頑張ってください。自分自身も、少しでも多く社会に貢献できるように努力していきます。
岩瀬さんと同じ業界で、経験年数は岩瀬さんよりもかなり?長いのですが、とくに日本の外の視点では、自分自身の視野の狭さを感じました。
例えば、ウオーレン・バフェット(P12, 149)のことは、ほとんど知りませんでした。米国の生保一般勘定のポートフォリオの状況(P154)、米国の人気マネーサイト“Smart Money”のこと(P88)なども知りませんでした。加えて、「行動経済学(P79)」についても、です。
「行動経済学」の意味するところで、頭にイメージしたのが、少し突飛かもしれませんが、「なぜ、日本は第2次世界大戦に突入をしたのか?」です。これは、当時においても、負けると分かっていた人は少なくなかったと聞きます。「日本人の愚かさ」を感じたりもしたのですが、行動経済学に基づけば(戦争は経済ではありませんが)、日本人だけでなく「人間」は合理的な行動だけでなく、感情などに左右されて行動することがある、ということで少し変な安心をしてしまったりしました。
「災害割増特約の(存在)意味が理解できない(P138)」とありました。推察となりますが、次の理由を考えてみました。災害保障は疾病保障よりも歴史は古く、戦前より損保を中心に傷害に対する保障があり、そのニーズもあったこと。例えば、今では、戦争による保険金支払は免責事由となりますが、日清戦争、日露戦争の時代において、生命保険会社は保険金を支払う事で生命保険のステータスを上げています。また、災害保障の料率は、疾病保障に比べて、年齢による差異が小さいため、その設定がしやすく、かつ低廉な料率にもなります。戦後、高度成長を迎えるまで、一般の家庭では、十分な普通死亡保障が得られなかったと考えられる中で、災害保障は付加しやすかったのではないでしょうか。その流れが続き、行動経済学にも基づき?好まれて、今なお残っているように思います。また、生命保険会社は、貯金のような商品を販売できませんので、低廉な災害保障を付加し、保険として販売するケースもあると思います。
これからも頑張ってください。自分自身も、少しでも多く社会に貢献できるように努力していきます。
_ 家来 ― 2009年10月19日 16:35
死亡保険は大数の法則を使って死亡率を計算し、死亡率にもとづいて保険料や保険金をはじきだしているわけです。ところが逆に、死亡に直接的に関係してくる要因は何か、山のようにある要因からどれを係数として引っ張り出してくるか、などと真剣に考えると頭が痛くなってきます (そして、「そんな頭痛ごときで加入者の平等を奪うのか!」という小飼さんたちの断罪が、どこからともなく聞こえてくるようになります)。
遺伝子のような先天的な要因、自然災害や事故など、何を死亡の要因として考えるかによって保険商品の差異化をはかるということは可能でしょう。同時に「人はどうして死ぬのか」について考えることは「どうしたら死なないで生き続けられるか」という古来の王様の夢と似ているかもしれないなとも思ったりします。
遺伝子のような先天的な要因、自然災害や事故など、何を死亡の要因として考えるかによって保険商品の差異化をはかるということは可能でしょう。同時に「人はどうして死ぬのか」について考えることは「どうしたら死なないで生き続けられるか」という古来の王様の夢と似ているかもしれないなとも思ったりします。
_ もう大学院生 ― 2009年10月20日 09:38
通りすがりの外資生保さま、ご回答いただきましてありがとうございました。ご指摘の点についてさらに自分でも勉強を進めてみたいと思います。お礼が遅れてしまい申しわけございませんでした。
_ non-smoker ― 2009年10月28日 10:28
僕は非喫煙者ですが、ヘビースモーカーで肺が真っ黒な人と料率が同じだとしたらちょっと腑に落ちません。喫煙・非喫煙の有無で料率に差をつけるのは賛成です。ライフネットさんでの導入は難しいですか(かなりのコストアップ要因ですか)?
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要は、「民間保険のリスク設計の仕様(責任の有無)」は公的保険と民間保険の「市場規模の比率」で決まる、というお話に見えます。
しかし「市場規模の比率」は、歴史的に「公がリスク設計に頑張ったから」伸びたのでしょうか(末端の加入者は、公的保険のリスク設計の完成度を考慮して加入先を選んでましたっけ?)。「公が安心」という国民感情だけで公の存在が膨張してきたのでは?
「民間保険は信用されてこなかった」から、自分たちのやっている「リスク・所得の再分配」機能(社会的意義)まで責任取りません。今日現在まで考慮したこともありません。と言いたいのかな?
ニッチな後発参入者は、その業務の社会的機能を無視します。金払ってくれる顧客にほどほどのサービスを提供して食いぶちを稼ぎます。社会的責任は、僕らの業界が巨大化したあとにはじめて精査します(こう言い続けて早 数十年、いまだ民間保険業界は成熟せず、と主張)。
======
個人的にはこの岩瀬エントリ(↑)も不思議な理屈…。「”なぜ市場規模が公に負けてるのか”説明すべき巨人・日本生命」に代わって、この問題を「弱小後発・ライフネットが”業界代表”として答えようとして」自爆してませんか。
そもそも岩瀬氏が著書での自分の立場の説明を間違えた(単に生保業界の慣行に乗っかって後発で創業しただけなのに「業界代表」を自負した)ように思えるし、さらにその間違い(ライフネットに説明責任があるのか?)に気付かずに、小飼氏が相手を間違えて質問した気がします(歴史的な指導を知る財務省・金融監督庁やら日本生命たちが妥当?)。
ややこしい話ですが、私の理解が間違ってたらごめんなさい。しかし、おそらく私の周囲では知識が乏しく、こういう理解しかできない人間がたくさんおります。このブログはどうやら生保業界の関係者の方もお読みのようです。私のようなド素人の素朴な質問で恐縮ですが、岩瀬氏がむずかしければ、そちらの皆さまからでもかまいません。ご説明いただけましたら幸甚です。