超高齢化社会の選挙制度2011年01月06日

ある「暴れん坊系」経営者が若い頃、会社の偉い人と意見が衝突して、次のように主張したそうだ。

「皆さんはあと会社に何年かしかいないじゃないですか!僕らはこれから何10年も、この会社を育てていくんですよ。だから、僕らの意見を聞いてください!」

まったくもってその通りである。

翻ってみると、国政の選挙についても同様のロジックが当てはまるのではないか。

高齢者の方が平均して85歳まで生きるとすると、例えば65歳の人は残り20年、75歳の人は残り10年をこの国で過ごすことになる。

これに対して、我々30代は平均して50年、この国と付き合っていなければならない(もちろん、嫌になれば国を出ればよいのだが)。多くの先輩方が卒業した後も、ずっとこの国を守っていかなければならない。

だとすると、国のステイクホルダーとしては、我々30代の方が、60代、70代の方々よりもずっと「濃い」利害を持つのではないか。そして、国が10年で清算する組織体ではなく、永続的に続く存在であるのだから、若い世代の声こそ、強く国作りの政策に反映されるべきではないか。

しかし、現実はまったく逆である。藤沢数希氏「若者が搾取される理由」(http://agora-web.jp/archives/1164595.html)で再確認されたが、若年層はそもそも人数が少ない上に投票率が3割~5割と低いため、その声は(目先の選挙ばかりを意識した)政治家には届かない。我々は政治家の先生方にとっては「上客」ではないのである。結果、高齢者の年金・医療給付は抑制されることなく、まだ選挙権を持たない世代に請求書が付け回される行動が続いている。

若い人が選挙に行かないのが悪い。それはその通りなのだが、そもそも若い世代って今も昔もあまり選挙に行かないのでは?そう思って、過去に遡って年代別投票率を調べてみて気がついたこと。1970年代くらいまでは、20代も30代も、ちゃんと投票に行っていたのですね。反省。

したがって、まずは若年層の政治参加をいかに高めるかということを考えなければならないのだが、それはそれだけで大きなテーマなので、ここでは割愛する。また別の機会に考えてみたい。

しかし、仮に若年層の投票率が今より高まったとしても、超高齢化社会では依然として高齢者の方の意見が圧倒的に多く反映されることとなる。人数が多いのだからそれは当然なのだが、しかし先にも述べたように、国は永続的な存在なので、誰かが将来を見据えた長期の政策を考えなければならない。本来であれば政治家がそれを担うべきなのだろうが、毎年の選挙に振り回される現状においては、目先の高齢者の票を過度に意識することになり、期待できない。

とすれば、選挙制度の中で、何らかの形で我が国の将来の意見を公平に反映されるような仕組みを作る必要があるのではないか?年代別選挙区制度、というのは一つの案だし、他にもあるかも知れない。思いつきだが、参議院の力を弱くして本来の「ご意見番」的な存在とした上で、(税金や社会保険料をあまり納めず、もっぱら受給する側である)高齢者の代表はこちらに多く反映させ、国の現在と将来を作る現役世代の代表を衆議院とするとか。あるいは、20歳以下にも選挙権を与え、親がそれを代理して行使するようにするとか。

一人一票に支えられる民主主義の原則は、厳格に守られる必要がある。しかし、それを国政に反映させる方法は、時代と社会の変化に沿って修正する必要がある。20世紀の初期に確立した普通選挙権やそれに基づく諸制度も、まさか日本のような超高齢化社会の到来を想定していなかったことだろう。

そしてこの道は、他の先進国もいずれは通る道である。我々は「高齢化先進国」として、新しい人口動態と社会に適した政治・経済・社会のシステムを構築していけるよう、皆で知恵を絞り、原理原則とロジックに従って考えていく必要がある。

目先の個の利益を超えて、国の将来を構想し、行動することを、制度的に担保されない政治家の高い職業倫理にだけ求めるには、限界が来たのではないか。国の将来を見据えた政策形成が国政に反映されるよう、何らかの形で仕組みがあると考えるのである。