日本政治の断層線 ― 2011年03月22日
ワシントン・ポスト紙に「日本復興に必要なこと」なる小論を寄稿したところ、"The Political Fault Line of Japan"なる見出しで掲載してもらえました(オンライン版に新たに設けられた投稿コーナーではありますが)。原文は同サイトをお読み頂くとして、下記に和訳をつけてみました。こういった主張が外国のクオリティペーパーを介して逆輸入で、我が国の指導者の目にも触れることとを期待しつつ。
http://www.washingtonpost.com/blogs/guest-insights/post/the-political-fault-lines-of-japan/2011/03/18/ABXNLar_blog.html
日本政治の断層線
致命的な地震と津波が日本の東北地方を襲ってから1週間が経過した。日本国民は物理的、精神的、そして経済的にも打撃を受けたが、強い力をもって今回の苦難を耐えてきた。政治の指導者たちは昼夜を徹して情報が少ない中、難しい意思決定をしてきた。自衛隊員や警察官は凍てつく寒さの中、廃墟に埋もれる生存者を賢明に捜し続けている。勇敢な技術者たちは健康を危険にさらして起こりうるメルトダウンを防ごうと必死の作業を続けている。企業は義捐金、食糧、衣類、その他の生活必需品を最も被害を受けた地域に送り続けている。そして国民は明日が予想できない日々の中でも平静を保ち、連帯感をもって生きている。
今回の地震とその後の悲しい出来事が我々に何かを教えてくれたとしたら、それはかつてこの国を敗戦の焼け跡から経済大国に建て直すことを可能にした、私たち日本人の美徳や属性を思い出させてくれたことではないだろうか。政治的ないざこざは当面休止し、野党も必要な支援を提供するために必要な協力をしている。子供手当や高速道路の無料化のように、総選挙を勝つためのバラマキではないかと非難された政策は、救済策の財源を確保するために延期されるようである。
短期の関心は被災地の救援に寄せられるだろうが、これまで以上に決定的な重要性を持つのが、中長期的にこの国をどのようにして復興させていくかという問題である。津波は我が国の債務や経済の構造的な非効率までも洗い流した訳ではない。日本国民に安定と真の意味での救済を提供するためには、経済を復興させ、持続可能な成長の道に乗せるための大胆な施策を取ることである。
増税と社会保障の再設計を含む財政再建が急務であることは言うまでもないが、同様に重要なのは、生産性の改善をもたらす政策への転換である。過去20年の経済的な停滞をもたらしたもっとも大きな要因は、低収益の「ゾンビ」企業と、非効率な社員を過度に守る政策である。これらは健全な競争を歪ませ、イノベーションと生産性の改善に不可欠である「創造的破壊」と雇用の再分配のプロセスを妨げてきた。加えて、ここ数年の資本市場におけるルールの変化は事実上敵対的買収を不可能にし、ケイレツ的な持ち株の復活を促してきた。この結果、アニマルスピリットを去勢された経営者たちは資本を投下してリターンを向上するインセンティブを持たないまま多くの現預金の上に胡坐をかき、サラリーマン人生の最後の数年を終えようとしている。
多くの政治家はこういった構造的な問題を長らく認識してきたが、これまで行動を取らずに来た。それはたった一つの理由である:選挙に負けるのが怖いから。過度に力を持った参議院は恒常的なねじれ国会を生み、18か月に一度、国政選挙を求める選挙制度と相まって、過去20年で14人の首相が退陣させた。このようなことが起こるのはせっかちな選挙民や無能な政治家が理由ではなく、設計の悪い、機能不全の政治システムが原因である。
それが物理的であれ経済的であれ、もはや我が国がさらなるショックを耐えられないことは明らかである。震災では多くの勇敢な人たちが、国の破たんを防いでくれた。今度は、我が国の指導者たちが政治的な勇気を見せる番である。日本の一番よいところを引き出すために不可欠な、厳しい政策決定を行い、我が国を再び持続可能な経済成長の道に乗せることが待ち望まれている。
http://www.washingtonpost.com/blogs/guest-insights/post/the-political-fault-lines-of-japan/2011/03/18/ABXNLar_blog.html
日本政治の断層線
致命的な地震と津波が日本の東北地方を襲ってから1週間が経過した。日本国民は物理的、精神的、そして経済的にも打撃を受けたが、強い力をもって今回の苦難を耐えてきた。政治の指導者たちは昼夜を徹して情報が少ない中、難しい意思決定をしてきた。自衛隊員や警察官は凍てつく寒さの中、廃墟に埋もれる生存者を賢明に捜し続けている。勇敢な技術者たちは健康を危険にさらして起こりうるメルトダウンを防ごうと必死の作業を続けている。企業は義捐金、食糧、衣類、その他の生活必需品を最も被害を受けた地域に送り続けている。そして国民は明日が予想できない日々の中でも平静を保ち、連帯感をもって生きている。
今回の地震とその後の悲しい出来事が我々に何かを教えてくれたとしたら、それはかつてこの国を敗戦の焼け跡から経済大国に建て直すことを可能にした、私たち日本人の美徳や属性を思い出させてくれたことではないだろうか。政治的ないざこざは当面休止し、野党も必要な支援を提供するために必要な協力をしている。子供手当や高速道路の無料化のように、総選挙を勝つためのバラマキではないかと非難された政策は、救済策の財源を確保するために延期されるようである。
短期の関心は被災地の救援に寄せられるだろうが、これまで以上に決定的な重要性を持つのが、中長期的にこの国をどのようにして復興させていくかという問題である。津波は我が国の債務や経済の構造的な非効率までも洗い流した訳ではない。日本国民に安定と真の意味での救済を提供するためには、経済を復興させ、持続可能な成長の道に乗せるための大胆な施策を取ることである。
増税と社会保障の再設計を含む財政再建が急務であることは言うまでもないが、同様に重要なのは、生産性の改善をもたらす政策への転換である。過去20年の経済的な停滞をもたらしたもっとも大きな要因は、低収益の「ゾンビ」企業と、非効率な社員を過度に守る政策である。これらは健全な競争を歪ませ、イノベーションと生産性の改善に不可欠である「創造的破壊」と雇用の再分配のプロセスを妨げてきた。加えて、ここ数年の資本市場におけるルールの変化は事実上敵対的買収を不可能にし、ケイレツ的な持ち株の復活を促してきた。この結果、アニマルスピリットを去勢された経営者たちは資本を投下してリターンを向上するインセンティブを持たないまま多くの現預金の上に胡坐をかき、サラリーマン人生の最後の数年を終えようとしている。
多くの政治家はこういった構造的な問題を長らく認識してきたが、これまで行動を取らずに来た。それはたった一つの理由である:選挙に負けるのが怖いから。過度に力を持った参議院は恒常的なねじれ国会を生み、18か月に一度、国政選挙を求める選挙制度と相まって、過去20年で14人の首相が退陣させた。このようなことが起こるのはせっかちな選挙民や無能な政治家が理由ではなく、設計の悪い、機能不全の政治システムが原因である。
それが物理的であれ経済的であれ、もはや我が国がさらなるショックを耐えられないことは明らかである。震災では多くの勇敢な人たちが、国の破たんを防いでくれた。今度は、我が国の指導者たちが政治的な勇気を見せる番である。日本の一番よいところを引き出すために不可欠な、厳しい政策決定を行い、我が国を再び持続可能な経済成長の道に乗せることが待ち望まれている。
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