評論家になるな2009年09月30日

少し前、福岡で試験的に行ったテレビCMを見た人から

「メッセージが多すぎて、できが悪い」

というコメントを頂いた。

結果的にはテレビCMはうまくいって、その後も他の地域で放映を続けているのだが、このコメントを聞いたときは参考にしようと思わなかった。

これに対して、仮に

「自分は見たが、メッセージが多すぎて、印象に残らなかった」

といわれていたら、意見として聞いていたと思う。

一見するととても似たような二つのコメントだが、何が違うのか?

前者は評論家的な「分析・意見」であって、後者は一人のユーザーとしての「生の感想」である。

僕らからすると、評論家による分析は、興味がない。彼らより、僕らのほうが日々、真剣にお客様と向かい合って、試行錯誤している。

これに対して、ひとりひとりのユーザーの生の声は、とても気になる。もちろん、多様なユーザーがいるわけで、ひとりひとりの声を全部反映できるわけではないが、「こういうプロファイルの人が、このように感じた」というのは、とても大切な経営判断の材料となる。

もうひとつ、参考にしたいと思うのは、

「自分は似たようなCMを打ったことがあるが、メッセージが多すぎて、きちんと伝わらなかった」

という体験談。これも、自らがリスクを取って真剣に試してみて、起こった結果を共有してもらったものであり、大変参考になる。彼らが経験したことと、今回の内容。何が共通していて、何が異なるのか?

僕も人のビジネスに意見を求められた際には、できるだけこの二つの視点、つまり、①一人のユーザーとしての感想か、②一人の経験者としての意見を述べるようにして、③評論家としての分析は控えるようにしている。

でも、気がつくと、評論家的な分析をしちゃっている人(自分の反省の意味も含めて)、決して少なくないですよね。

【追記】
すみません、朝、家を出る前に急いで書いたので、書き方が悪かったかも。言いたかったことは、

・ 自分で実際にビジネスをやってみて、コンサルタントっぽい意見は聞きたくなくなった。コンサルや学者が書いたビジネス本も読みたくなくなった。

・ 本は、自分で体験したビジネスマンのものしか読まなくなった(P&G和田裕子さん、R25藤井大輔さんなど)

・ 生の消費者目線の声はたくさん聞きたい

もう一本、補足の意味でエントリーを書きました
http://totodaisuke.asablo.jp/blog/2009/10/01/4608537